ひとりたのしむうた

独楽吟 福井に生きた幕末の歌人、橘曙覧が詠んだ52首の連作の歌。 「たのしみは~とき」の形で詠まれています。 私も日々の生活の中で感じる楽しみを言葉で紡いでみたいと思います。

家族

迎え火

昨日の午後の豪雨の湿り気を含んで暑い上にむっとする。
写真でも湿気が伝わりますよね。
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昨日、雷も雨もすごかったんだけど「すぐ終わる」と思っているせいか何も感じずやり過ごしてしまった。
コロナも、はじめの頃はこんなに長く全世界を覆い尽くすとは思わなかった。見通しが立たないと言うのは本当にしんどい。
コロナに感染するよりメンタルが先にやられるんじゃないかと思う。
1番影響が少ない私たち世代でやりきれなさを感じているんだから現役世代の人は本当に大変だと思う。

就職活動中の人、採用されても自宅待機のままの人、これからいろんな受験の人、結婚を予定していた人、親元に介護に行けない人、仕事を切られてしまった人・・・・。大きな節目をコロナに狂わされている人達がたくさんいる。それでも世の中が殺伐としないのは日本人の美徳だろうけど限度がある。
国は使うべきところにしっかり援助してあげて欲しい。見当違いはやめてほしい。

目が覚めたら「新型コロナは駆逐されました」などと言う放送が各局一斉に流れたりしていないかしら。

今日からお盆。
道路を走る車が少し少ない感じ。休めない流通トラックが荷物と一緒に風を運んでくれる。

  ☆たのしみは
   大型トラック 風起こし
   盆の道路を 涼ませるとき

時間がたつと熱風になるんだけどね。朝は涼しい。


迎え火は娘がやってくれるそうです。
そして送り火は息子がやってくれます。二人で相談して決めてくれました。
娘はパソコン持って行ってマンションでテレワークしながらお供えを作ってくれて、残った分を息子にあげてくれるそうです。麗しき姉弟愛!
ありがたや、ありがたや<(_ _)>

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「母の歌」

今朝のウォーキングはとっても平和でした。

なぜってカラスの声が近くで聞こえなかったから…。とってもスムーズにあるけて時間も短い。

5時20分位の空だけどもう昼間みたい。でもほかの鳥はいっぱい鳴いてたんですよ。

  ☆たのしみは
   鳥が切り裂く 静けさを
   ねぼけまなこに 喝はいるとき

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調子がいいのであまり写真もとらずに足早に歩きました。
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家に帰りついて裏庭に回るといつのまにかゆすら梅が実をつけていました。今年は豊作だ。
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今日の記事は私の思い出話で長く
なるので適当に読み飛ばしてください。

12年前に亡くなった母の思い出です。


母が存命中の20009月の話です。当時は母77歳。父も元気でいたころの話です。

昔ラジオで深夜放送というものがあって、リクエスト曲とお便りを受け付けていましたよね。

若かった頃私もリクエストをして自分の名前が読まれて曲がかかり、嬉しかったことを覚えています。


そんな若者向けのものでは無いけれど、母が深夜放送にリクエストをしたと私に話してくれました。

「ラジオ深夜便」という深夜放送で流れた母のリクエスト曲は「母の歌」、皆さん知っていますか?

私は何度も母が歌っているの聞いたことがあります。歌詞もおぼろげながら覚えていました。

放送では母のメッセージ全て読み上げてもらえたそうです。

記事全文を掲載します。

………………………………

それは昭和19年9月7日。

◯◯◯◯師範を出て2年目の私に、敗戦の色濃くなった世相を憂慮し、集団疎開(学童疎開)を開始する中、5年女子の疎開児童の担任として大阪府◯◯の方へ赴くよう命令が出たのでした。

独身で身軽ということもあったと思います。


現地では◯◯寺というお寺の親切なご家族のお世話になりながら本堂をお借りして学童18名と起居を共にする事になりました。

地元の方々も大変よくして下さいました。


◯◯寺の隣に、◯◯国民学校があり、午後から低学年の教室をお借りして授業をしていました。

時折ピアノをお借りして、五年生の教材の「牧場の朝」や「母の歌」などを歌ったものでした。

特に「母の歌」は心打つものがあったと思います。


戦時中、すべての物資が乏しい時代、やさしい肉親と引き離され、空腹に耐え、いつ終わるかわからぬ戦争を我慢し健気に生きてきた少女達。

誰に教わったのか、彼女達の間に割箸を三本ずつ使って二人が組みとなり寺の縁側で「こっくりさん、こっくりさん。戦争はいつすみますか?」とか「いつお母さんのところへ帰られますか?」等、占う遊びがはやっていました。

その時ほど、聖戦と聞かされていても憎らしく、子供たちが不憫に思われたことはありませんでした。


でも、「撃ちてし止まむ」や「欲しがりません勝つまでは」の標語を盾に叱咤激励し、或る日は「勝ちぬく僕等小国民、天皇陛下のおん為に….」と斉唱しながら

落葉かきに出かけたものでした。


その子供たちが「母の歌」をそっと口ずさむ時、父恋し、母恋し、望郷の念に心の中で涙ぐんでいたのでしょう。


私は昭和24年に教職を去りましたが、そんな子供たちも元気でいたら67歳になっているはず。

教え子の誰か一人でもあの歌を聞いて思い出を甦らせていてくれたらと思います。


集団疎開中「もし、敵兵が上陸して来たら」と案じた前方の海も今は一部埋め立てられ関西空港が出現。敵機ならぬ旅客機が飛来する世の中となりました。


けれど世界のどこかで、大人の利害で、罪のない子供まで戦火に巻き込む戦争が起こっています。

世の中から戦争をなくしたいものです。

………………………………

これが母のリクエスト曲が深夜放送に採用されたとき読まれたメッセージです。

この話には続きがあります。


その頃私は自分のホームページを作っていました。「母の歌についての母のメッセージ、感じるものがあって、放送を聞いた後の母の感想、

  「母の歌」の二番の歌詞
     母こそはみ国の力 おの子らを
     戦の庭に遠くやり心勇む
     雄々しきかな 母の姿

  は歌われずホッとしました。

を付け加えて、ホームページにアップしたのです。

まだ学校を出たての二十歳そこそこの先生が自分の年の半分ほどの児童を連れて疎開。
母もよくやったわ。10歳の子たち、我慢することは今の私たちの比ではなかったでしょう。


その後しばらくして、知らない方からホームページのフォームからメールが来たのです。

その頃はあまり悪質なメールとか気にしなくてもいい時代だったと思います。

「初めまして。突然メールを差し上げて申し訳ありません。◯◯県の◯◯に住む◯◯と申します。

実は「母の歌」について調べていたところ、チーサンのHPにたどり着き、お母様の随筆を拝見させて頂きました。私が小学生3年生の時、60過ぎの先生が教えてくれた曲で今でもメロディーは口ずさめます。

突然のメールで、しかもお願いのメールで申し訳ないのですが、この「母の歌」の歌詞1番と3番を、もしお母様が覚えていらっしゃったら教えて頂けないでしょうか?

唱歌などの楽譜を探しても「母の歌」が載っているものがなく、どうしても歌詞を見つけられずに困っていました。

祖母の誕生日に(93歳)、みんなで歌ってあげたいと私の母が言い出しまして・・・。もしお母様が歌詞をお覚えでいらっしゃたら、ぜひとも教えて頂きたいのです。

あつかましいお願いを突然差し上げて申し訳ありませ ん。」

こう言うメールでした。
とても雑なつくりの私のホームページで、よくあの「母の歌」の記事にだどりついてくださったと思いました。

もちろん返事を出しました。


「メールどうもありがとうございます。

仕事から帰ってきてメールを見て、とっても嬉しくなって大阪にすむ母にすぐさま電話をして聞きました。(私は〇〇に住んでいます。)

母は今、77歳ですが、私が子供のころに折りあるごとにこの歌を口ずさんでいました。

だから断片的に私の心にも残っているのです。

母は、「合っていると思うけど...。」とか「どういう字を書くのか解らない...」とかいいながら記憶をたどったのが下の歌詞です。

間違っているかも知れませんが、もし、93歳のおばあちゃまが、この歌をきいて正確な歌詞を思い出されるようなことがあったら教えてくださいね。


母はあの文章をラジオに投稿したあと、何人もの方からお便りをいただいたそうです。

それほど心に残る歌と、状況だったのでしょうね。


母の歌 野上弥生子作詞、下総皖一作曲

母こそは 命の泉 いとし子を

胸にいだきてほほ笑めリ 若やかに

うるわしきかな 母の姿


母こそは み国の力 おの子らを

戦の庭に遠くやり 心勇む

雄々しきかな 母の姿


母こそは 千歳の光 人の世の

あらん限り地に映ゆる 天津日なり

大いなるかな 母の姿         (違っているかもしれません)      


それでは、おばあちゃまのお誕生日かいい日になりますように....。」と

その後丁寧なメールが送られてきました。ご自分の思い出話が綴られていました。
その思い出も「母の歌」にまつわるものでした。


片付けモードで古いはがきやノート整理していたらこの時のメールのやり取りを印刷したものが出てきたのです。多分母に見せたんでしょうね。

このやり取りは2000年、平成12年のお話と申しました。

そのころというのは、Windows 95が発売され、パソコンが一般に認知され始めて5年。
2000年問題なんていうのもあったなあ。
みんながパソコンに夢中になっている頃の、のどかなオンラインでのつながり
のお話です。

  ☆たのしみは
   記憶の彼方の 思い出の
   捨てきれぬ
箱 見つけたるとき

  ☆たのしみは
   母口ずさみ 吾唱和
   記憶かすかに 引き出せるとき




昔の編み物作品

そろそろストーブを片付ける場所を確保しとかなきゃればいけないと思って昨日納戸を少し整理しました。といってもものを少し重ねるだけ、隙間にぎゅっと詰め込むだけ位のことですがまぁいろんなものが出てきました。

その中に子供が小さいときに編んでやったセーター類が1袋分出てきました。

小学校に上がる前、子供たちの洋服はよく手作りしてました。特に女の子の洋服は殆ど作ってだと思います。洋裁も編み物もやってたなぁ。

本当は写真にパチっと撮ってゴミに出すべきなんでしょうが、また風呂敷に包んでしまいました。きっと屋根裏収納庫にはもっともっとあるなぁ。


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  ☆たのしみは

   幼かる子に 編みやりし

   ちさきセーター 見つけたるとき


昨日のブログで飛行機の搭乗回数について書きましたがあれは仕事や旅行で日本中、世界中を飛び回っていたわけではなく、実家のほうの諸雑務が要領悪くてなかなか片付かず何度も行き来した結果です()

半分は大好きな大阪に帰りたかっただけかもしれません。


お月様はだいぶ形を変えてきました。でもいつまでも明るいです。

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道端
の花、名前はわかりません。
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ちょっと出るのが遅かったので、朝日燦々、若葉の緑に映えてきれいです。というかおいしそうにすら見えます。


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  ☆たのしみは

   古木の幹に 這うツタの

   朝日を浴びて 艶やかなとき


ちょっと遠くに八重桜が満開に見えます。
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