雨が降っているのだが降っていないのだが寝床の中からではわからない。雨音らしき音が聞こえるものの、窓から覗いたら降っていないように見える。
外に出たら地面が濡れていた。途端に歩きにくい感じがする。気のせい、気のせい。
折り畳み傘を取りに戻るのも面倒なので玄関のビニール傘を持って歩き始める。やっぱり何か持っていると少し調子が狂う。
傘は開いたり、閉じたり、結果半分ぐらいは降られなかったみたい。
出かける時間が遅かったのでいつもと違う道を歩いてみる。いつもと違う花。
ダリアと野菊以外わかりません。
ベゴニア満開
ウグイスロードの刈り込みも進んでいる。
帰ってきたらもうBSの朝ドラ再放送の「澪つくし」が始まる時間だった。この時間見るともなくでも見ないと気持ちが悪く、見ている。
続いて、今年の朝ドラ「エール」。
こちらは欠かさず見ている。本来ならオリンピック開催に併せてオリンピックマーチのシーンが高らかに放送されるはずだったのに。
今朝は「長崎の鐘」の誕生までの話だった。この曲は母も歌っていたから私も歌詞は覚えている。
私は戦後生まれだけど、まだ戦争の記憶も薄れないうちに育っている。
あの頃の親たちはよくまあ、私たちを天真爛漫に育ててくれたものだと思う。
私の知らない所では苦労している人たちもいたのだろうが私たちにそれを感じさせる事はなかった。
小学生頃の頃だっただろうか、難波にお出かけした時(家族揃って電車に乗って百貨店へ行き大食堂で食事し緑色のソーダ水を飲んで、屋上のメリーゴーランドやペット売り場を見るのが楽しみだった)戎橋の上で白い装束の傷痍軍人が座って施しを受けているのを見るたび何とも言えない気持ちになったのを覚えている。橋の上は冷たいだろうに。
子供心に戎橋の上は避けて通りたいと思った。
軍歌もいろいろ覚えている。やはり母が歌っていたのだろうか。歌詞も鮮明に覚えている。今はどうか知らないけど、カラオケの曲の中に軍歌もあって、歌ったこともある。歌うべき歌ではなかったのだと今頃反省している。
まだ続く「エール」
みんなを力付ける歌、「オリンピックマーチ」、「六甲おろし」、そして「栄冠は君に輝く」
力強い歌を、元気の出る歌を生み出すシーン楽しみです。
☆たのしみは
朝ドラ深く 胸刺す日
明るい展開 信じ待つとき
軍歌、傷病軍人の姿は私も四天王寺に参詣のとき子供心に見掛けてなんとも言えない気持ちになったことを覚えています、子供心にもセンソウはいけないことと認識していたように思います。思うと私たちは本当に身をもって味わったわけではないけれども戦争の怖さ醜さ、命を奪ってしまうことの残虐さ、そんなことを知っている最後の年代の端くれかもしれませんね、今の御時世ボタンひとつで多くの命を奪ってしまうことの残虐、そんなことをきれいなアニメーション、作られた映像で見て歓喜している若い人々の姿はなんか怖い気持ちがします。
チーサン
がしました